傑作『仮面ライダー』など、数々の大作を手掛けられてきた、マンガ家:山田ゴロさんにインタビューをさせて頂きました。
山田ゴロさんの作品には石ノ森章太郎さん原作のものが数多くあり、現在でも石ノ森スピリッツというイベントを継続して行っているほどで、ご自身の成長過程に置いて、大きな影響力をもたらしたとされる、師である石ノ森章太郎さんへの想いが今回のインタビューでも非常に感じられました。
またマンガ界ではいち早く電子ツールを使って描いていたそうで、その先見性には大変感服いたしました。現在では、「デジタルマンガ協会」の事務局長を努めるなど、 精力的に次世代のマンガについて取り組まれていらっしゃる山田ゴロさんのマンガ界に対する想いというものを今回のインタビューでは熱く語って頂きました!
デジタル突入のきっかけ
木村忠夫
先生がデジタルマンガに興味をお持ちになったきっかけはいつごろですか。
山田ゴロ
現在60歳なのですが、20年前頃ぐらいに、自分ではまだまだ描けるのに仕事が減っていくんですよ。丁度そのころからデジタルの波が日本に押し寄せてきたんです。いずれマンガ界にも影響が出てくるはず…と思い、興味を持つようになったんです。
木村忠夫
また随分と先見の目がおありで・・・
山田ゴロ
当時は必死でしたから、どうしたらマンガを描き続けていかれるかという気持ちが強かったのかもしれません。周りの人には「もう少し様子を見たら・・・」と言われたのですが、僕が50,60歳になってからでは、とてもじゃないけれど覚えられないという危機感があったんでよ。要するに10年後を見て思い切って導入したんです。
木村忠夫
マンガ家の中でも先駆けておやりになられた感想は・・・
山田ゴロ
ペンをマウスに持ち替えて、専門用語や操作の仕方など覚えなくてはならなかったのですが、とても楽しかったですよ。仕事も少しずつ増えてきましたからね…。もっと伸びるだろうと思ったのに逆に減っていくんです。
木村忠夫
何が原因なんでしょうかねぇ
山田ゴロ
これって言う原因は解らないんですよ。やはりデジタルの専門家ではなかったし・・・ソフトの進化は早いし・・・僕の実力不足だったのかもしれません。
木村忠夫
でも当時はマンガ家の中ではデジタルを手掛けていた人は少なかったんではありませんか。
山田ゴロ
そうですね。でも、その頃だったかなあ、マンガ家だけの小さな組織『J-Mac(ジェイマック)』という会に出会ったんです。その会はモンキーパンチ先生が会長をされていて、マンガ家がマッキントッシュを使って、デジタルでマンガを描くための勉強会だったのです。若い先生や中堅、ベテランの先生までがデジタルに興味を持って加入していたんです。僕が少しだけ先にやっていたので、大先生から僕に『教えてよ』と言ってくれるんで、何か世界が変わったようでしたね。マンガ界というのは大先生が僕たちに教えてくれるんじゃないですか、それが逆になったんですよ。こりゃ大変だもっと勉強しなくてはと、さらに入れ込んでしまいました。
木村忠夫
デジタル時代に突入され、先生も大学でマンガを御指導されているとお聞きしましたが、生徒はデジタルで描きたがるのではありませんか。
山田ゴロ
でもねえー、デジタルは一つの道具ですから、ペンにインクをつけて白い紙に描くことが基本ですよね。基礎がしっかりしていないといくら優れている道具でも使いこなせませんよね。それとマンガを描いていく創作の精神というか、心構えと言うかその辺が欠けつつあると感じているので、その辺を優先しているつもりです。
木村忠夫
俗に言うプロ意識というところでしょうか。
山田ゴロ
僕は現在、商業誌でのマンガはしばらく描いてはいませんが、”マンガで生きていた、また今後も生きていく”というマンガを職業としてのプロ意識は絶えず持っています。誰もが、ある程度の年齢になれば、第一線から退くことになるのですが、教育の場に入れたことによって、マンガ家経験を生かした新しい生き方もできるんです。
マンガ家は職人
木村忠夫
私は、マンガ家は職人だと思っているんですよ。芸を身につけられた職人さんは、後輩にしっかりと受け継がせていく。これはとても大切なことだと思うんですよ。日本のマンガをここまで成長させてきたのは、大きな要因のひとつとして、マンガ家の創作する質が高かったのだと思っています。特に手塚治虫という大先生が大きいですよね。
山田ゴロ
全くその通りですね。手塚先生がいなかったら、ここまで日本のマンガが成長したかどうか疑問ですよ。その手塚先生の影響で石ノ森章太郎、ちばてつや、藤子不二雄先生等が誕生し、さらに女流マンガ界の世界も開かれてきたんですからね。僕なんかは石ノ森先生の影響をもろに受けていますよ。その創作の石ノ森スピリッツを何とか今の若い人に伝えたくてねぇ。
木村忠夫
学校で教えている若い人たちの生徒の気迫は・・・
山田ゴロ
ガッカリすることがあるんです。だって生徒に将来プロとして活躍したい人は手を上げて・・・
というといいところ2割程度なんですよ。何のために高い学費を払ってマンガの勉強をするんだ!と言いたくなってしまいます。
木村忠夫
そのような関係の話を手塚先生から聞いたことがあります。もう25年前のマンガ最盛期の頃になるんですが、『今の子たちはマンガ学校に通うことが目的で、マンガ学校に行っていると、何となく周りからチヤホヤされる。マンガは時代の最先端を行っているので、かっこいいと思われたいんですよ』と聞いたことがあります。これって今も変わっていませんよね。
山田ゴロ
そんなかっこいいものではありませんよね。机の前に座ってシコシコとペンを動かしているし、日曜日も祭日もありませんし、作品が仕上がるまでは時間もないに等しいぐらいですからね・・・面白いマンガを描くために悩み、苦しみ、悪戦苦闘の連続です。
木村忠夫
でもマンガ家が創作する体制というか、マンガ界というか、だいぶ変化してきていますよね。実力がイマイチなのに、自分の好きな作品を自由に描き簡単にデビューする。そしてすぐに消えちゃう。アシスタント制度も薄れてなる人も少なくなる。
山田ゴロ
やはり時代の流れですよね。過激なエッチなものとか、過激なBL(ボーイスラブ)的なものとか、見ちゃいけないタブー的なものというか、精神的なものというか、これが希薄になっているように映ります。”見る読者が日本人なら、日本人の心のマンガをかけよ!” “感動させるものを追求しろよ!”…そのような個人的なこだわりが、僕の心の中には絶えずあります。でもビジネス的にみると、僕のこだわりの反対者の方が売れるんですよね。
木村忠夫
その気持ちはよくわかります。作品の中にドラマが感じられず、過激な絵の描写で編集されている雑誌が多いですよ。出版社は商売ですから、本が売れないと困るわけですから、マンガ界が低調の中で、だんだんエスカレートしてきているように感じてしまいます。でも世の中グローバル時代ですから、やはり読者が国際的になっているんですね。目が肥えてきているんです。『週刊少年ジャンプ』が一時は650万部売れていたでしょう。今は250万部、じゃあ400万人の読者はどこにいったの…これって不思議ですよね。異なる趣向が読者に流れていることになりますよね。だからマンガ人口は多いかもしれないけれども、その人たちが紙のマンガに戻ってくるとは思えないんです。
山田ゴロ
マンガ文化が停滞していく事がよく見えますよね。
木村忠夫
もう停滞を止める方法なんて無いのではないでしょうか。それでも毎週『少年ジャンプ』が250万部売れること自体すごいことですよね。世界にこんなに売れる国はないですよ。だから日本はマンガ大国と世界から評価されるんですね。とにかくマンガ文化を支えるのには、絶対にマンガビジネスが必要ですから、出版社に面白いマンガが世に出るよう頑張ってもらいたいですよね。それと、もっと世界に出なくてはいけないじゃないのかなあ。マンガ家は単なる絵描きとは異なるのですから、山田先生の言う日本精神があふれる作品を世界の人たちに読んでもらうこれですよね。
山田ゴロ
大賛成です。マンガは日本の宝です。(笑)
次世代が育ちにくい環境
山田ゴロ
でも現在は、若い創作者が育ちにくい環境かもしれませんね。
木村忠夫
それはどのようなところで感じますか。
山田ゴロ
二つあるかもしれません。一つは編集者の質です。中には優秀な人がいるんですが、全体的にサラリーマン化しています。FAXやパソコンなどが普及している環境もあるんですが、時間に関係なくマンガ家に接して、一緒になって面白い作品を読者に提供するという精神が昔とずいぶん変化しましたよね。編集者がすごく勉強していて作家の良いところを引き出して、何とか面白い作品を世に送ろうという気合が欠如してるのかもしれません。それとマンガを教えていて気がついたのですが、指導者にも若干問題があると思うんですよ。
木村忠夫
これはぜひ聞きたい!(笑)
山田ゴロ
すべての学校とは言えませんが、絵(マンガ)をろくに描いた事ない人を講師にして、高校生にマンガを教えてるんです。それも20歳そこそこの人ですよ。授業の中のカリキュラムにマンガの描き方が組まれているから、仕方なくやっているという感じです。またある女性講師は、遅刻はしてくるし勝手に休んでしまうし、授業もヒステリックになり怒ってばかりいたそうです。これじゃマンガを軽く思っている事になり、生徒はやる気が無くなりますよね。
木村忠夫
随分といい加減ですね。先生も無責任だけれども、生徒集めのためにマンガを授業に導入するという、短絡的な学校経営者にも問題がありますよ。よく似た話を私もよく聞きます。それは、ある講師は、ずっと長くアシスタントをやっていたので、
技術的にはそんなに問題はなかったのですが、その講師が編集者との関わり方や編集の仕方まで教えているというんです。それって大丈夫なのかなぁと思いますよね。
山田ゴロ
そうそう僕も聞いたことあります。プロ野球でもそうですが監督がだめだと選手もダメになってしまいますよね。絵だけ上手に描ければ、プロになれるわけではないし、人を感動させられる、面白さを追求できるというわけでもないです。それを解らない人が指導者になるという環境は怖いですよ。
木村忠夫
少子化になって、各教育機関が生徒を集めるために『マンガ』が人気だからマンガ学科を創設したのと、日本の宝であるマンガ文化を成長させるために、マンガ家の育成が必要だからマンガ学科を創設した事とは全然異なるんですよね。
山田ゴロ
その弊害が出てるのかもしれません。
木村忠夫
先生が若い人の育成に一番気になることはどんなことですか。
山田ゴロ
確かに今まで述べた二つの理由は大きいかもしれませんが、本物のマンガ家が育ちにくくなった原因の一つとして、コミックマーケット(同人誌即売会/通称: コミケ)の存在が大きいと思います。コミケは否定しませんが、プロとして将来商業誌で活躍したいのならば、長くはやるべきではないんでしょうか。なぜかというと、若い人は経験が浅いですから、自分の事しか描けないんです。好きなことを描くのはいいんですが、独りよがりの作品になってしまって、相手に伝える努力を全くしないんです。マンガを描くということは不特定多数の他人に見てもらいたいからですよね。ごく一部の仲間に解ればいいやというゲーム感覚なのかもしれません。私が教えている生徒の中でもかなりいますよ。だから自分の描いた作品で広く感動を伝えたい気持ちが出てこないんです。
木村忠夫 なるほど、趣味でコミケに参加するのは良いが、将来職業としてマンガを描きたい人は、長く続けるなということですね。マンガの基本的な問題ですよね。「マンガを描く人は沢山いても、マンガを描ける人はいない」って、手塚先生も語っていたことがありましたが…。
山田ゴロ
まさにその通りです。だから嘆いても仕方ないので、私が教える生徒たちにはマンガの作画技術はそれなりに教えますが、人間性を高められるようにも力を入れています。
マンガとは人間が人間を描く
木村忠夫
まさに『マンガとは人間が人間を描く』の基本的なことですね。
山田ゴロ
僕は石ノ森先生から教えてもらった事がいっぱいありました。でも先生から教えられているという感覚は全くなかったんですよ。先生がネームを取っているところとか、アイデアを考えている姿とか、
本を読んでいるところを見て、「自分もこうやって勉強しなきゃ駄目だ」と感じて、その通りにやってきました。すべてがお手本になりましたね。未熟な僕を育ててくれたと、今でも感謝しております。
木村忠夫
でもデジタル時代になると、もっと気軽に自由に描くことができますよね。
山田ゴロ
そこが問題なんですよ。簡単に作品を発表できる環境は非常に危険に感じます。いつでも世界に配信できるんですが、そこには決まりというかルールがまだないんですよ。宗教的なことや人種差別的なこと等、表現してはいけない、言ってはいけないことを無制限に日本から配信したら、大きな問題にもなりかねないし、日本のマンガが大きく誤解されますよ。
木村忠夫
描く人もモラルや編集能力がさらに必要になってくるわけですね。ただやはり言えることは、マンガの表現する幅が広がり、大勢の人が見てもらえるような環境になってきたわけですから、マンガも進化していくように感じられますが…。
山田ゴロ
携帯やネット配信でのマンガは、初めのうちは古いマンガ作品や、大御所の先生の作品をどんどん流していましたよね。でも古いマンガは若い人たちはあまり読みません。マンガは新しいマンガを新しい作品を読んでいく、そのような文化だと思うんです。これは今も昔も同じだと思いますよ。だからマンガが紙媒体でも、ネット媒体で発表されていても、新鮮さが無ければ発展は不可能になってくるわけです。特にネット配信ならば、それに合わせた新しい手法による作品内容が要求されるべきです。マンガを読ませる事から見させる方向に華麗に変身させなくてはね。
木村忠夫
そうするとイメージが変わり、読者のマンガに対する認識というか趣向も変化してくるのではないでしようか。
山田ゴロ
どのように変化してくるかわかりませんが、たぶんそうだと思います。だからこそそこに作家の葛藤があり、デジタル編集者にも大きな任務になるのですよ。
変化するツール
木村忠夫
そこで必要なのは作品の管理というか、ディレクター編集者の存在ですね。
山田ゴロ
そう思います。先ほども言ったように、日本のマンガ文化を高めたのには編集者の力も大きかったです。デジタルでも同様に、作家の作品を導いてくれる人が必要になってきます。特にデジタルは、作品の受け渡しだけでなく、内容のチェック、著作権を含めたきちんとした配信ルールなどを、マンガ家と一緒になってやるべきだと思います。とかくマンガ家が置き去りになり出版社主導になってしまいがちですが、これではいけません。いい例がマンガ配信先進国の韓国です。携帯によるネットが発展したおかげで本が売れなくなってしまったのです。その結果、本屋がどんどん潰れていっているんです。携帯マンガはマンガの本質である横に読んでいく目線から、縦に読んでいくスクロール目線に変わり、それを後から紙の雑誌に戻すことは大変な作業です。今後もパソコンや携帯、他の端末にマンガが表現されるわけですから、その流れを十分に知り尽くし、マンガの面白さを読者に伝える方法を編集者は重要視すべきだと思います。特にマンガの質を高める見せ方は大きなポイントになりますよね。
木村忠夫
デジタルはカラー化も音声も動画も駆使しなければ、見せ方として読者は食いつかないのでは…?
山田ゴロ
現在はアナログの延長上にデジタルはあるわけだし、たぶんそのように変化してくるでしょうね。でも、それらの事をあまりマンガ家は考えている人が少ないんですよね。
木村忠夫
マンガ家がどのような方法にせよ、コンピュータの知識もこれからは必要になってきますよね。そうすれば表現方法が多岐になりますよね。
山田ゴロ
大変喜ばしいことだと思います。マンガ作品を見る目を持ち、さらにデジタルでどのように処理して、どう見せられるかが解っている編集者、これがこれからの決め手になるかもしれませんね。電子書籍会社がどんどん誕生して、マンガ家が活躍できるような時代になってくれるといいですよね。
木村忠夫
可能性は十二分にあるんじゃないですか。
デジタルマンガ協会のこれから
木村忠夫
先生は現在、デジタルマンガ協会の事務局長を務めておりますよね。同協会の内容を教えてください。
山田ゴロ
デジタルならではのマンガの表現を追求するアーティストとエンジニアの集団で、デジタル表現を基にマンガ創作する場合に必要な技術について、仲間同士がお互いに知恵と知識を共有する団体です。またデジタル化に伴い発生するだろう様々な著作権の問題について研究しています。会長はモンキー・パンチ先生。副会長はちばてつや先生と里中満智子先生です。会員は約70名ぐらいいます。
木村忠夫
マンガ家が創作方法を研究しあい、マンガ家の著作権を構築し守っていく団体は、これから重要ですよね。でも現在はマンガ家の権利などは、出版社主導の元で行われていますが…
山田ゴロ
その通りです。創作するのはマンガ家ですからね。マンガ家の立場をしっかりと守らないと面白いマンガも誕生しません。出版社主導だとどうしても既得権益を守り、ビジネス優先的になりがちになってしまうので、もっとマンガ家の意見が反映されるように頑張りたいのです。
木村忠夫
とても大切だと私も思います。デジタル社会になればなるほど、創作者の権利は創作者が中心になって構築していかないと、下手をすればとんでもない方向に行きがちですよ。日本には社団法人マンガ家協会とかマンガ家の任意団体であり、マンガジャパンとかあるわけだし、ベテランから新人までのマンガ家の考え方を反映していかないと、ビジネス優先に走りがちになってしまうのではと心配します。充実していけば、もっと若い世代の人も入会してくると思うんですが、同じような立場のデジタルマンガ協会は、今後どのような方向に進めたいですか。
山田ゴロ
もちろんデジタル社会でのマンガ家の権利などを真剣に考える必要がありますが、まずは会員の人たちのデジタルによる仕事などの開拓と、マンガ創作の本質をきちんと伝えられるようにしたいですね。最近の活動としては、僕が石ノ森章太郎の弟子ということもあって、色々な先生方とトークイベントを二カ月に一回行っています。互いに色々な話をすることによって、それらを記録に残していきたいんです。
木村忠夫
そのような体験談などは貴重ですよね。日本の地方にいる人や、海外の人たちも日本のマンガ家の生活などを知りたいですよね。
ネット時代における今後のマンガについて
山田ゴロ
ネット時代ですからね。今後も続けてぜひマンガの本質を世界のマンガファンに知らせたいです。少しでも創作の原点が解り、マンガ文化が栄えると嬉しいです。木村さんはどう思いますか?
木村忠夫
いいですね。大賛成です。私は逆に海外のマンガ家を日本人に知らせたいんです。いつまでも日本がマンガ先進国でいること自体、大きな勘違いと思っているんです。海外、特にアジア圏では才能豊かな人材が多いです。日本の若者は小さく固まっているけれど、アジア圏のマンガを描いている人に接すると、どでかい気合を感じています。明るい明日の希望をひしひしと肌で感じるんです。それらを伝えられればと思っています。手短にできるのはネットを利用した『マンガ三国志』です。日本のマンガが韓国や中国にどんどん流れてますが、これでは一方通行です。韓国や中国のマンガを日本に、韓国のマンガを中国に等、三つの国のマンガを還流させたいのです。昔、私が企画立案して、今でも各国交代で続けられている『マンガ家サミット』と同様に、『デジタルマンガサミット』を実施するのが夢です。
山田ゴロ
こりゃ面白い。わざわざ各国に行かなくても情報交換ができるし、作品も見られるし、交流が一層深められますよね。
木村忠夫
ご賛同ありがとうございます(笑)。三国が核となってアジア圏から世界にデジタルマンガの表現を広める。きっとそのような時代が来ると予感します。
山田ゴロ
Skypeを利用すると大勢の人たちが見ますよ。UStreamでマンガ家の先生とのインタビューをしたり、話し合いをしたり、仕事場を映したり、普段何気なく酒場で話しているのを、ずっと撮って流す、僕は楽しいと思うんですよね。(笑)
木村忠夫
マンガ家の実態がストレートに解るので、私も絶対に見ちゃう(笑)
山田ゴロ
僕の少年時代はマンガ家入門書が市販されていて、それを読んで、マンガ家がどのように生活をしているのか、どのようにアイデアを絞り出しているのか、という事が編集されていたので、読んでいて憧れましたね。だから「マンガ家を目指そう」と思ったんです。でも現在の『マンガ家入門』は描き方中心ですよね、印刷本が無理だからそれらをネットで伝えれば、さらに面白く興味をもたれる人が増えるんじゃないかなぁ…
マンガ家を目指す人へ
木村忠夫
これからマンガ家を目指す人にアドバイスとしては。
山田ゴロ
話の繰り返しになってしまうけれど、デジタル社会になって本当によかったと思っています。マンガの表現の幅が広がってきたわけですから、色々読者を楽しませる面白いマンガが表現できます。マンガの特性は「これでなくちゃいけない」っていう基本が無いんですよ。人それぞれに物事のとらえ方が異なったり、思想が違ったりするわけですから、それを表現するには、ただ漠然と描き続けているか、ちゃんとその物の実体を理解して描いているかで、大きな差があるんですよね。若い人は感覚的に描いている人が多いです。でも優秀な先生方が大勢いるのですから、その人たちの指導で若い人は必ず伸びてくると信じています。そうすれば昔と一味違った作品が誕生すると期待しております。
木村忠夫
他人に自分の思いをどのような方法で伝えられるかは、恋人にどのようにしてプロポーズするかと同じですね。そのプロポーズの仕方で相手は喜び結婚も早まる(笑)
山田ゴロ
僕はマンガを描いてずいぶん長いのですが、子供たちはマンガの読者で、要するに[読む読者]ですよね。「なぜマンガを読むのか」って言うことです。でも読むたびに様々な感動があるので、読まされている事に気が付いていないんです。驚くことも感動だし、笑うことも、泣く事も感動なのです。そのような感動がマンガの中にはあるんです。だから読むんです。生徒に「マンガ家になろうと思ったら、作品の中で人を感動させないといけない」と繰り返し言ってます。
木村忠夫
確かにそうですね。
山田ゴロ
それともう一つ言っていることは「マンガは絵ではなくお話が大切だ」ということです。絵が上手いマンガ家はいっぱいいる。でもなぜ人気が無いのか。これは「話がつまらない」からなんですよ。どんなに絵がうまくても、イラストでは人はなかなか感動してくれませんよ。少しぐらい絵が下手でも話が面白かったら、必ず読んでくれます。だからマンガは絵だけしっかりやってもダメで、構成だとかストーリーを重要視するようにとも言っているんです。たった一枚の一コママンガでも、キャプション一つでガラッと変わってしまうんです。
木村忠夫
同感ですね。私はその感性を身につけるのは若いうちだけだから、小説を読んだり映画やテレビドラマを見なさいとアドバイスしているんです。
山田ゴロ
本当にそうですよね。好きなマンガばかり読んでいて、小説なんか読まなくなっていますものね。本当に狭い範囲です。描いた作品も同じで仲間内だけ…ギャグも仲間だけに解るものばかり。これじゃスケールがますます小さくなってしまうんです。
木村忠夫
だってマンガの神様の手塚治虫先生でも、どんなに忙しくても月に数十冊読んでいましたし、対談をする場合には、相手の経歴や現在の立場を研究するということを御本人から聞きました。どんなに忙しくても相手を知る努力、まさに敵を知り己を知れば百戦危うからず、マンガでも通用すると教わりましたね。手塚先生は、特に人気になった若い作家が出てくるとその人の作品を読み、そのジャンルの作品を描くんですから。
山田ゴロ
まさに天才ですよね。でもその天才も絶えず努力を積み重ねてこそですよ。石ノ森先生もそうでしたね。「寝る前は必ず本を読むのだ」と言ってましたけど、その読書量がすごい。とても真似できませんね。それと集中力もすごいんですよ…描くのも早い。4~5時間で50枚ぐらい描きますからね。神業ですよ。4時間と決めたら、鼻歌を歌いながらでもすごいスピードで描いてしまうその集中力、まさにプロ中のプロですよね。
石ノ森先生のもとへ弟子入り
木村忠夫
今でも、ちびっこに人気がある『仮面ライダー』なんですが、先生が石ノ森先生に弟子入りした時、すでに描いていたのですか。
山田ゴロ
描いていたようです。というのは18歳で上京したのですけど、一年間、『ウルトラマン』を描いていた、中城健太郎先生のところにいたんです。石ノ森先生は当時、いろいな雑誌で連載をしていましたから、作画を分担していたんです。その一人が中城先生だったんです。中城先生のところでもとても多忙でしたから、世間で石ノ森先生の何の作品が人気あるかわからなかったんです。でも今日まで人気があるってすごいですよね。これがマンガの恐ろしさでもあり素晴らしさでもあるわけです。
木村忠夫
超大御所の石ノ森先生(当時は石森章太郎)のアシスタントになられたのはすごいことですね。
山田ゴロ
僕は岐阜県出身なんですが、高校を出てすぐにマンガ家になりたくて上京し、中城健太郎先生のところにアシスタントとして修行していたんです。その間、原稿を編集部に届けたりしていたんですが、ある時、届ける途中で石ノ森先生のところに思い切って訪ねたんです。「先生のアシスタントにしてください」と言ったら、「いいよ」とすぐ言ってくれたんですよ。中城先生に相談したら「いいチャンスだから、すぐに行きなさい」と許可してくれたんです。
木村忠夫
随分とすんなりと…
山田ゴロ
自分でも驚いたくらいです。でも石ノ森先生のところに行ったら、7個机があり7人のアシスタントがいて僕は座るところがないんですよ。よく聞いたら僕の他にあと2名待っているんですよ。「いつ仕事をさせていただけるのですか」と聞いたら、「さぁ~1年後か2年後かもね」と言われたんです。「なんだい、入った意味ないじゃないか」と思い、その日に石ノ森先生に「辞めます!」と言ったら、「アシスタントにきてその日に辞めると言ったのはキミだけだよ。どうして?」と聞かれたんで、「僕はマンガ家になるためにここに来たんです。マンガが描けないのならば、アシスタントになる意味がありませんから」って言ったんです。先生は「ちょっと待て、作品の版権業務やテレビ化を手掛けている石ノ森プロダクションがあるから、とりあえずそこに行ってみないか」と言われたんです。もちろん仕事ができるのならば異存が無いのですぐにお世話になったんです。
木村忠夫
そこで『仮面ライダー』の仕事を…?
山田ゴロ
マネージャーに「君は何を描けるの」と聞かれたから、「ウルトラマンです」と答えたら、困った顔をして「仮面ライダー描けるか」って言われたんですよ。僕は中城先生のところでは『ウルトラマン』を描いていたので、『仮面ライダー』の事は全然知らなかったんです。「仮面ライダー?って何ですか」って思わず言ってしまいました。よく聞くと実写でテレビ放映されていて、子供たちの間では凄い人気なんですよね。マネージャーが『サイクロン号』と『仮面ライダー』の写真を持ってきて、とりあえず描いてみな」と言われたので、カラーまで入れて描いたんです。そしたら「よし、明日からおいで」と言われ、正式に採用されたんです。
木村忠夫
石ノ森先生とはあまり話されなかったんですか?
山田ゴロ
先生も多忙だし、石ノ森プロはテレビで放映された作品のマンガ家が結構多かったので、直接話す機会はありませんでした。でもある日、石ノ森先生がやってきて、「今度『少年サンデー』で『キカイダー』というのを連載するので、僕が下書きとネームをとるからペン入れをやってくれないか」と言われたんです。驚きましたね~。でも初めての連載ですから、もちろんやらさせていただきましたが、自分の名前が初めて印刷になったのでこれがデビューでしょうかね。
木村忠夫
その後も順調に・・・
山田ゴロ
石ノ森プロでは学年誌でも描かせていただいたりしてました。2年ぐらいしたら先生が「席が空いたから来るかい」と言われたんですが、仕事の方も軌道に乗ってきた時期もあり、お断りしたんです。ですから直接の石ノ森先生のところでのアシスタントは一度もやっていないですよ。
木村忠夫
一般的に言うと、アシスタントは先生のもとで先生を助っ人する役目ですよね。
山田ゴロ
そうですね、だから僕は石ノ森先生の「弟子」と思っているんです。アシスタントは弟子ではないんですよ。その違いは、アシスタントは背景処理とかを描くために先生から教わります。ところが僕は先生のところから離れて仕事をしていたおかげで、物語が描けたわけですから弟子ということです。自分でストーリーを考え絵まで描いて先生に監修してもらう。先生は「こうするともっと面白い物語になるよ。ここはこうやって表現したらいいかも」って言ってくれるんです。要するに人物の描き方、ストーリーの作り方、色々なことを直接教えてくれるのですから、間違いなく『弟子』です。
木村忠夫
これはすごい。力がつきますよね。
山田ゴロ
背景だけを描く助っ人とちょっと違いますよね。だから背景を描いていた人に比べると、僕の方が絶対に下手ですよね。あと先生はキャラクターデザインとかはしますが、一切ストーリーと作画には携わっていないんです。だから作品は石ノ森章太郎原作、作画: 石ノ森プロと入っていますが、作品そのものは僕が考えて描いたわけです。ありがたい事でした。
「山田ゴロ」の原点
木村忠夫
先生は最初の頃は、ギャグマンガを描きたかったんですよね。
山田ゴロ
そうなんですよ。赤塚不二夫先生はギャグマンガ家の大天才ですね。特に「おそ松くん」は凄い。ギャグマンガのすべてを取り入れている作品です。
木村忠夫
その影響は大きかったのですか。
山田ゴロ
大きい、大きい。赤塚先生は作品を作っちゃ、それを壊して新しいものを次々と生み出していっているんですよ。ギャグマンガの宿命かもしれないけれども、これはなかなかできない事なんです。だから僕は何か面白い事をやろうという時は、赤塚作品を良く見てやっていましたよ。
木村忠夫
山田ゴロという作家として一番大切にしていたことは何でしたか。
山田ゴロ
僕は人間的にはそんなに堅い人間じゃないんだけれども、作画では結構堅く考える方なんです。それはストーリーマンガでも「起承転結」はしっかりしなきゃいけないとか考えていたんです。ところがマンガってもっと柔らかいもので、堅く考えてギャクの落ちをきちんとやったら面白くないんですよ。つまりギャグなんだからちゃんと最後に落ちをつけるという考え方から、もう描きっぱなしでもいいんじゃないかと考えるようなったんです。そしたら気分が楽になり、作品も面白くなってきたんです。『ロボコン』を描いている時がそうでした。『ロボコン』が当たり前の動作をしても面白くないんです。ドアを手で開けて部屋に入るよりも、壁を足で突き破って入ってきた方がずっと面白くなるんですよ。
木村忠夫
なるほど、ハチャメチャな行動が子供たちに受けるんですね。
山田ゴロ
そうだと思います。出来そうでない事を当たり前のようにやる発想なのです。常識破りの手法です。キャラクター、ストーリー、絵柄を考える時は、一番大切なのは、登場人物の気持ちになって考えることが重要と思ったんですよ。
マンガとは起承転結である
木村忠夫
先生の目から見た現在のマンガ作品はいかがですか。
山田ゴロ
最近あんまり雑誌を読まないけれど、人気のある作品は出来るだけ目を通すようにしているんです。その中で一番気になるのは、実は四コママンガなんですよ。四コママンガはストーリーマンガと異なって、四つのコマの中に面白さを入れるわけですから、起承転結がとても重要なんです。それがしっかりしていると、一つの作品の中で完結する面白さを読者が感じるんですが、最近の四コマ雑誌内の作品は、落ちが無いまま終わってしまうので盛り上がりが感じられないんですよ。
木村忠夫
原因は何でしょう。
山田ゴロ 僕が思うのには、コミケなんかで少し可愛らしい絵柄が描ける人に、
編集者がアタックして描かせているんじゃないかなぁ~ そんな気がしますよ。
四コマとは何か。
マンガとは何かが希薄ですよね。もっとオリジナリティを感じる味のある四コママンガが出てきてほしいものです。
木村忠夫
ほかに現在のマンガ界で気になっていることはありますか。
山田ゴロ
マンガの影響かなぁ~、つまりボーイズラブ(BL)とかティーンズラブ(TL)の作品が堂々と売られていますよね、そういう作品はもの凄く人に影響を与えると思っているんです。以前、犯人の部屋から残虐なマンガが出てきて、大きな話題になったことがありました。「犯人はこのようなマンガを絶えず読んでいたから真似をしたんだ」とか、マンガ家にとってはいい迷惑だけれども、逆に言うと、そのぐらいマンガは世の中へのアピール性が高いんですね。僕も少年時代に読んだ『ジャングル大帝』は、今だに自分の心に感動として、影響を与えてくれています。だからマンガを描く責任って言うか、「マンガだからいいんだよ」と思ってしまうと、少し危険のように感じてしまうんです。だから、BL作品やTL作品も堂々と売られていますよね、そういう作品はもの凄く人に影響を与えると思っているんです。
木村忠夫
手塚先生も同じようなことを言っていたのを思い出しました。確か集英社の「手塚賞: 赤塚賞」の贈呈式のあいさつで、「君たちは少年ジャンプに掲載されれば、発行部数が500万部だから500万人の人に責任ある作品を見せなきゃいけないのだよ」と言われたのを覚えています。でも、自由に描ける、自由出版できる現在の日本では、その規制は難しいかもしれませんよね。
山田ゴロ
確かにその通りです。出版社は雑誌が売れないと商売になりませんからね。でもね、自由というものを履き違えている気がするんです。自由には責任があるんだという事をね。作家自身が自覚しないと、センスのないエロ・グロ作品が氾濫して、先が見えなくなってしまうんです。特にデジタル時代になっても出版社、配信会社は「もっと色っぽい作品は無いですか」と要求してくるんです。これってお客が集まりやすいからですよね。これからますます日本のマンガが世界に広がってくるわけですから、日本人だけに影響を与えるのじゃなくて、日本を知らない世界の人たちにも変な影響を与えてしまうんじゃないかとても心配です。
木村忠夫
石ノ森先生は先生が描いた作品に対して、何か特別な注文をされたんですか。
山田ゴロ
先生から自分の絵柄に合わせろなんて、言われた事はありませんでした。また僕が先生の考えたキャラクターの性格を全く違う感じにしてしまって見せても何にも言われませんでした。だから僕を先生が育ててくれたんだなあと思うんですよ。
木村忠夫
無言の教育ですね。
山田ゴロ
だと思います。そのスピリッツがよくわかるので、僕が学校で教える時も、僕が好きだから僕に合わせてよ、とかは絶対に言わないようにしているんです。まあ、何よりも良いマンガというと弊害があるかもしれませんが、人によい影響を与える作家を発掘するというか育成していくっていことが、今後肝心ですよ。
木村忠夫
ありがとうございました。とても貴重な話ばかりで、私自身も勉強になりました。今後も新しいマンガ文化を作り上げられるよう期待しております。
プロフィール
出身 岐阜県
誕生日 1952年12月23日
所属 江戸川大学マスコミュニケーション学科 (クリエーター論・文化論・実技)と
ヒューマンアカデミー(クリエーター論・実技)にて、非常勤講師を勤める。
Japan Macintosh Artist club(J-Mac)代表。
日本マンガ学会、社団法人日本マンガ家協会、デジタルマンガ協会事務局長、マンガジャパン所属。
代表作品
人造人間キカイダー
(よいこ連載 1972年)デビュー作。
キカイダー01
(小学館連載 1973年)
ロボット刑事
(講談社連載 1973年)
イナズマン
(徳間書店テレビランド1973年)
未来救助隊アスガード7
(学習研究社 4年の科学連載 1974年)
がんばれ!!ロボコン
(徳間書店連載 1975年)
ロボット110番
(小学二年生連載)(徳間書店連載)
アクマイザー3
(秋田書店 冒険王連載 1975年)
秘密戦隊ゴレンジャー
(徳間書店テレビランド連載 1975年)
5年3組魔法組
(原作:大堂 勲 徳間書店連載 1976年)
「東せんぼう」名義
超神ビビューン
(秋田書店 冒険王連載 1976年)
冒険ファミリー ここは惑星0番地
(制作:東映 徳間書店連載 1977年)
仮面ライダー 1号-ZXまで
(徳間書店テレビランド連載)
ロボット8ちゃん
(徳間書店 テレビランド連載 1981年)
ペットントン
(徳間書店 テレビランド連載 1982年)
チックンタックン
(学習研究社連載 1984年)
バッテンロボ丸
(テレビランド連載)
ミラクルジャイアンツ童夢くん
(学習研究社連載 1988年)
魔術大戦モアイくん
(学習研究社連載 1989年)