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ようやく大学時代の先輩を会社に誘えるようになりました。

どうもBPS渡辺です。現在アドベントカレンダー中でして、”みんなもっと書けばいいのに”と話している側でポジショントークしているのに自分の記事テーマが思いつかず困ってます。日記というか、考えていることを適当に文章をダラダラ書くのは苦じゃないんですけど、どうも各段落前のヘッダー部分を作るのが苦手なようです。なんとなく、”この文章の中で大事なのはココだよ”って言ってるみたいで照れません?

優しい人がいると、それだけで組織の雰囲気ってよくなりますよね

採用活動ででもお払い箱になりつつある僕ですけど、3年くらいかけてお願いしたおして最近入社してもらった方がいます。その人は僕が大学学部2年生のときに、研究室のドン(博士課程)の1人として、いつも研究室の最奥で、大学名が記載されたマグカップ片手に、パソコンに向かいソースコードをいじってました。技術力・開発力こそ正義みたいな、デキル先輩はデキルうえにストイックに頑張っていて、僕も貢献したいなと感じつつもちょっと気後れしちゃうような、そんな研究室のなかで、笑ってるときも、(僕が仕事の邪魔をしすぎて)怒らせちゃったときでも、いつも物腰やわらかな人でした。

当時は、というか今もなのですが、実力の差がありすぎて、学部生のころから、いつか一緒に仕事できるようになりたいなー、なんて思っていました。でも気づけば僕は就活の時期になっていて、それも終わってふと思い出したときに振り返ってみたら、先輩もいつのまにか所属研究室の教授推薦の企業に就職してて。

ずっと誘いたかったけれど誘えず

いつだったか久々に教授の誕生日会で集まった帰りの電車で最後の2人になり、何を話したかも忘れましたけれど、あー僕の成長速度だと結局一緒に仕事できるってところまで追いつけなかったなー、と、サヨウナラしてからしょんぼりした記憶があります。

その時はBPSをつくってまだ3年目辺りだったともいます。倒産するかもーなんて、当時も今も思ったことはないですし、毎年の成長も、皆でたてた計画も、特に仲間の実力については他社に劣っていると思ったことはこれまで1度もありません。BPSのことは少なからず自信をもって紹介してきたつもりでして、たとえば一般採用活動でBPSに興味をもってくださった人には、良いところも悪いところも、多少良いところによせた話をしちゃってるのは間違いないですけど、入社をお願いしてきました。

ただ、たとえば採用応募みたいに”BPSに行ってみようかな?”とすでに思ってくれている人相手ならともかく、そうはまだ言ってくれていない人たちに対しては、誘うのを躊躇しました。特に元々知り合いな場合。

友情と採用のトレードオフ

会社を設立して2年目、僕の少ない少なーい友人の一人を、大学卒業とともにBPS入社してもらいました。本人は獣医またはそれに近い職種に将来つくために、情報系以外を専攻してましたけど、どうしても一緒に仕事したいと僕がお願いして、きてもらいました。当時はまだ僕なんかでもエンジニアとして活躍でき・・・てたのかな、何にせよ僕もまだ現役でして、友人も優しいし器用なやつで、入社後半年程度で十分収支があうくらいまでに仕事ができるようにはなってました。

間もなくして、優秀な情報系のバックグランドをもつ人材(BPSを退職したメンバーは上場企業からスタートアップまで様々ですが役職者やCTOになっているメンバであったり、現在在職中のメンバはCTOや開発部長やチーム長などの職位についています)が次々とアルバイトや正社員として入社していきました。僕は開発をやめて営業や採用などさほど得意でもないけど需要があった別の職種に逃げることができました。でも友人は、開発職として生きていく覚悟でBPSに入社してくれていて、次第に入社組との積み上げてきたものの総量の違いを見せつけられ、苦しんでました。僕はそれに気づきながらも、彼を活かせるキャリアアップを提案する実力がなく。

お互い一緒に仕事したい気持ちはあったと思います。でも彼は、自分は退職したほうがいい、役に立ち続けられそうにないからって言ってきました。彼のおかげで、今も週2~3回は連絡をとりあって、頻繁に家族ぐるみで会える、友人という言葉を使い続けられる関係でいられています。

友情と成功イメージ

会社で”採用”して”雇用”するということは、その人の人生の一部に対して一緒に責任をもつということで、友情とか一緒に仕事したら楽しいといったチンケな想い”だけ”では絶対にやっちゃいけないものだと思います。会社だと、どうしても友情よりも優先しなくちゃいけないときがあって、友情を優先したいなら、一緒に責任をもつどころか全て自分が責任をとるつもりでなければ、一緒に仕事すべきじゃない。結果として間違ったとしても、必ず成功イメージを作って誘わないと、仕事やお金よりも大きなものを失ってしまいます。

そんなようなことを感じて、以降はなかなか知り合いは誘いにくい時期が続きました。無駄に自信があってもちっちゃい会社ですしね。でもその前に、僕自身がちっちゃすぎるのをどうにかしないといけないな、って。

成功イメージをもったらとにかく信じる

それから何年かたって、もちろんその成功イメージってやつがもてたから、先輩には改めて執拗に追いかけ回して入社を懇願したわけですけれども、やっぱドライな計算や計画よりも、一緒に働けることが素直に嬉しいものですね。大学生時代に僕が、開発って楽しいなと感じさせてもらったように、これから集まってくれる人たちが温かい職場に感じてくれるようにしたい。

先輩は、BPSで扱っている技術とか流行りのツールとか全然追えてなかったから役に立たないかもよって冗談を言ってくるんです。たしかにBPSで扱っているRuby on Railsってフレームワークは癖があってややこしい気もするし、WEB部長の森さんのように無限の知識と無限のトーク力で延々話し続けられるところをみると勉強できる領域って相当広いんだなと感じるし、技術だけでなくBPSは業界知識も要する案件や自社の過去資産の把握もあって、とても大変だろうなとは思います。

また思い出す馬場さんとのいい思い出

こういうとき、7年前に新宿からロマンスカーにのって町田のほうにCTOの馬場さんと向かっているときのことをよく思い出します。その日はへんなものを昼食にたべたのか、馬場さんが”◯◯さん天才すぎて追いつける気がまったくしない100分の1も出力がでない”って僕に言ってて、僕は馬場さんに、”たしかに◯◯さんは天才だともうけど、でも(全然おいつけないとかは)どうかなー?まあすぐ結果にこだわるなら相手の土俵で勝負することはないんじゃない?”っていうような会話した記憶があります。

すこし時間がたって、5年前に話したときは20分の1か10分の1になった!って言ってた気がします。そしてちょっと前に又聞きで5分の1近くにはなった!と聞きました。いまはどのくらいなんだろう。

ついでに思い出す嫌な思い出

そういえば、このロマンスカー内での会話を思い出すと、ついでに、馬場が僕に”才能がないから開発者やめたら?”と言ってきたことも、よく思い出します。馬場さんと先輩はともかく、僕はそう言われてなければ、まあそのときはいろいろあって、僕も友人のようにやめてたかかもしれないことを思うと、感謝しても感謝しきれないですね。

・・・

〆かたがわからなくなっちゃいまして。

僕も皆に負けないようにお仕事がんばります。


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